オカダカズチカのプロレスオリンピック発言について

新日本プロレスのオカダカズチカが2020年1月16日に行われた2019年度プロレス大賞の授賞式にて「オリンピックイヤーならぬレスリングイヤーにしたい」と発言したことについて考察していきたいと思います。



プロレスオリンピック

この発言の意味は他団体の選手たちと一緒に一つの大会を行いたいということです。

所謂オールスター戦ですね。

今回のオカダカズチカが発言したプロレス大賞授賞式ではプロレスリング・ノアの清宮海斗や全日本プロレスの宮原健斗など他団体のトップ選手も参加しており、その選手たちを意識したのはもちろん、プロレス界全体の活性化を考えての発言だと思います。

そして今の若い世代でプロレス界をもっと盛り上げて行こうというオカダカズチカの更なる向上心が感じ取れました。

オカダVS清宮 オカダVS宮原など夢のカードが実現するかもですね!

過去のプロレスの祭典

過去にも団体の垣根を超えて集まった選手たちのオールスター戦のような大会を実施しています。

古くは1979年のプロレス夢のオールスター戦から2011年の東日本大震災復興支援チャリティープロレス・オールトゥギャザーまで数は少ないものの開催されています。

カードを見ると普段組むことのない選手のタッグの試合が多くシングルの試合はかなり少ない印象です。おそらくたくさんの選手が出場するためにどうしてもタッグの試合にならざるを得ない、お祭り的な要素もある、団体のトップ同士のシングルは負けた団体のイメージ低下などのリスクがある、などの理由が考えられます。

確かにもし団体のトップ同士のシングル戦が実現するなら相当なプレミアムカードですので東京ドームなどの大きい会場でのビッグマッチにしたほうが興行的にもいいですよね。



オカダカズチカを振り返る

1987年11月生まれ。

最初は闘龍門(ドラゴンゲート)所属でプロレスデビューしていたが(この時なんと15歳!)2007年8月に新日本プロレスに移籍しました。

2008年4月に新日本プロレスでのデビュー戦(VS石狩太一)

2010年1月TNAというアメリカのプロレス団体に無期限の武者修行へ。

2011年1月の東京ドーム大会のみ参戦するも再び武者修行へ。

2011年12月に凱旋帰国。この時に現在の髪を金髪にして派手なコスチューム、クールで強気なファイトスタイルに変わっていました。

2012年1月の東京ドーム大会でYOSHI-HASHIを相手にダブル凱旋帰国試合をして勝利します。(YOSHI-HASHIもこの時が凱旋帰国試合でした)

この日のメインイベントの後にこの時のIWGPヘビー級王者の棚橋弘至に挑戦するアピールをします。

しかしオカダカズチカを知らない&認めていないファンの方が多いのと棚橋弘至の人気が最高だったことも相まって会場はブーイングで拒否していました。

結局翌2月の大会でタイトルマッチが正式に決まって棚橋弘至と戦ってまさかのオカダカズチカの勝利。プロレスファンに大きな衝撃を与えたのです。所謂「レインメーカーショック」ですね。

ここからは常に新日本プロレスのトップで活躍し今や新日本プロレスの顔というべき中心選手です。

オカダカズチカのこれから

常に団体の最高峰のベルトに絡む活躍をし続けるオカダカズチカのこれからに目が離せません。

試合内容のレベルも高く話題性も豊富で、対戦相手の強さも引き出す上手さもあります。

一方で新日本プロレス、いやプロレスをどんどん広めるためメディアやSNSでの活動も活発に行っています。

こちらが考えつかないようなことをこれからもやっていくと思うので期待せざるを得ませんね。

常に激しい戦いに身を置いているので体調は大事にしてもらいたいです。

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